1879年2月〜1884年3月 霊媒師ヘレナ・ブラヴァツキー、1879年より5年間インドに滞在する。
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日付:1879年2月〜1884年3月
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1875年9月にニューヨークで神智学を設立したウクライナ生まれの霊媒師ヘレナ・ブラヴァツキーは、はじめの数年間はトマス・エディソンなどを含む多くの著名人を惹きつけ、順調にフォロワーを増やしていったが、数年以内に詐欺師だという評判が出回るようになり、協会を退会する人も増えて活動が滞りはじめる。そのため、1878年の暮れにニューヨークを離れ、翌年の2月からボンベイに移り住んだ。イギリスの植民地担当国務長官でもあった作家エドワード・ジョージ・ブルワー・リットン卿の心霊主義小説をモデルに活動を織りなしていたブラヴァツキーは、最初はエジプトで「古代の智慧のマスター」とやらに出会い秘教の奥義を授かったと語っていたが、とつぜん話の舞台を都合よくチベットに変更することで、インドへの移住を強引に正当化する。滞在中、ブラヴァツキーは柔軟にヒンドゥー教や仏教の要素を神智学に取り入れるよう努めたが、その結果として彼女の教えはインドのさまざまな宗教運動を通じて、全国に火のように広まっていく。とくにインドの宗教を賛美し、キリスト教とイギリス帝国主義をともに批判する態度は現地のエリートたちの間で人気を博す。しかし、1884年に心霊研究者のリチャード・ホジソンが彼女のもとを訪れ、多くの神秘現象がトリックであることを暴くと、ニューヨークと同じようにくインチキだという噂が抑えられなくなる。同じ年にブラヴァツキーは来たときと同じくらい突如としてインドを去り、イギリスに渡って神智学協会の発展に尽力するが、7年後に59歳の若さで亡くなる。その死因は、古くから星々の禍々しい影響によって引き起こされると信じられていた感染症インフルエンザだった。
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